AMAKUSA SARAÇA <天草更紗>
『天草更紗の歴史』
「更紗(さらさ)」とは、海外から舶載された外来の模様布のことです。天草更紗は、安土桃山時代に、ヨーロッパや中近東、インドなどの更紗を、長崎出島を通じ、西欧人によって伝えられたとされています。その後、江戸時代に入り、舶来更紗を真似て技を身に付けた職人の手で製作され、庶民に愛される布になっていったとされます。
天草更紗は後継者がなく途絶えていた時期がありましたが、本渡(現在の天草市)の中村初義が中村染工場を開業し、本格的に復興に取り組みました。大正11年の「天草共進会」に初めて更紗を出品し、昭和8年の熊本工芸展で完全復興を遂げました。これを受け、熊本県は昭和39年3月10日に天草更紗を重要文化財に指定しました。しかし、ここでも後継者の関係から昭和40年代半ば頃に中村染め工場は閉鎖に追い込まれ、またも天草更紗は途絶えてしまいました。
現代になり、もともと染織家だったこともあり、現染元の中村いすずの元に市長や文化協会から復興の依頼がありました。また郷土史家等が収集された資料を寄贈してくださるご縁に恵まれたことから、再度復興に取りかかることになりました。結果、2002年に「平成の天草更紗」として再び復興を遂げました。
『オラショ(祈り)としての更紗』
南蛮船貿易が盛んだった安土桃山時代、更紗は天草に伝わり、広がっていきました。しかし、その後鎖国政策のため、西欧人と日本人妻子は国外へ追放されました。便りも禁じられ故郷への思いを何としても叶えようと「更紗の布」の裏に模様風に書いた手紙が今も残っており、これがオラショとしての更紗とされます。
『平成の天草更紗』
天草で更紗を染めることは戦前の手技を取り戻しつつも、現代に合った新しいシステムを製作することだと、染元中村いすずは考えています。野のやは、これを「平成の天草更紗」とし、野のやが手がける商品は平成の天草更紗として新たに復興したものです。キリシタンロマンの島・天草の異国情緒を漂わせる更紗。この地に暮らし、抱かれ生まれた草木(いろ)や型(かたち)を染めあらわします。
